女流建築家と家族のくらし
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jamais vu
「家」のつく職がある
画家、彫刻家、陶芸家、書家、音楽家、演奏家、作曲家
作家、小説家、漫画家、写真家

これらの人が作る物を「作品」と言う。

建築で作品性を議論する時「既視感」という言葉がいつもネックになるが、それでじゃぁ「既視感」の無いものとは何だろう?
奇異なものとはちがうけど「見たこともない」
というものがどのようなものかの実体がつかめずにいた。

僕たちの家を設計してから
「これと同じものを作って下さい」という依頼が多く寄せられる。

--見たことのないようなものを作らないと作品と言えないのに、
 それは作品とは呼べないものになるのではないか?
 建築家という看板を下ろすべきではないかと思った。

住み手にとって住居は落ち着くところであり、
斬新さを目指していつの日か色あせてしまう事は避けたい。
「見なれた」構成やたたずまいには、経験に裏付けられた安堵感がある。

だが、そのようなものを作って作品と呼ぶことが許されるのだろうか?
住み手としての自分と、作り手としての自分の自己矛盾がくすぶるのは
女性、主婦、インテリア出身という自分のスタンスに
起因しているのではないかという気がずっとしていた。

ところが、昨日から続けて2つ、少し腑に落ちることがあった。

昨晩はじめて、このことを人に打ち明ける機会があったのだが、
「後藤さんは作品を作ろうとしてませんか?」と言われた。
これは思考をいったんリセットさせてくれる、
とてもありがたい示唆に富んだ一言でした。

そして今朝、「既視感」(déjà-vu)の反対語
「未視感」(jamais vu)の意味を知りました。
-見慣れたはずのものが未知のものに感じられることを「未視感」という-
どうやら「見たこともない」という短絡的な意味ではないようだ。

気負わず建築と向きあっていこうと思える、すがすがしい朝でした。